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【小説】「たった一件のいいね」

第2話『金曜の夜に現れた光』


毎週金曜、ジムに現れるミキ。

ぎこちないムーブと、まっすぐな目。

ふたりの距離は、少しずつ、少しずつ縮まっていく。


金曜の夜。

会社帰りの電車。

何気なくスマホを見ていた。

特に誰かと約束しているわけじゃない。

でも、心のどこかで思っていた。

(今日も、来るかな。)

そんな自分に少し呆れながら、改札を抜けた。

ジムのドアを開けると、すぐに目に入った。

明るい色のTシャツにレギンス姿。

慣れない手つきでチョークバッグをいじるミキ。

「あ、こんばんは〜!」

ミキが手を振ってくる。

ヤスは、ほんの少しだけ目をそらして、軽く手を挙げた。

「……ちわっす。」

別に、特別なことじゃない。

でも、胸の奥が少しくすぐったかった。


ミキの成長

それから、何度か一緒にセッションするようになった。

「次、あの黄色(4級)やってみたら?」

「はいっ!」

ミキは素直にトライする。

落ちても、苦笑いしながらチョークを叩き、また壁に向かう。

(……いいじゃん。)

生意気でもなければ、変なプライドもない。

ヤスは、そんなミキを気に入った。


驚くほど素直な子

ミキは、驚くほど伸びるのが早かった。

まだフォームは荒削りだが、ムーブの理解が早い。

伝えたことを、すぐに実践しようとする。

「そこ、足もうちょい高く上げてから出た方がいいよ。」

「勢いだけじゃなくて、止めるとこは止めたほうがいい。」

アドバイスも、なるべく淡々と言った。

別に、特別扱いするつもりはない。

でも、素直に頑張るミキを見るのは、悪くなかった。

(……頑張るな、この子。)

自然と、そんなふうに思ってしまう。


5級完登の笑顔

ある金曜の夜。

ミキが5級の課題を完登した。

最後のガバを掴んだ時、

パッと顔が明るくなった。

「やったぁぁ!!」

両手を挙げてはしゃぐミキ。

その無邪気な姿に、ヤスは思わず微笑んだ。

「ナイス。」

たった一言だけ。

でも、心の奥では、ふわっと嬉しい気持ちが広がっていた。

(……なんだよ、俺。)

自分で自分が少し気持ち悪くなった。


外岩への一歩

ヤスは、クライマーとしてはそれなりに上級者の部類だった。

外岩メイン、最高グレードは三段。

神奈川から車を飛ばして、

御岳、小川山、瑞牆、恵那。

毎週末、どこかの岩に向かっていた。

だからこそ分かる。

外岩は、甘くない。

ジムで登れても、外岩に行けば何もできない。

朝は早いし、山は寒い。

岩のホールドはシビアだし、何より危険だ。

そのリアルさに、折れるやつは多い。

(ミキも流石に外岩は無理だよな。)

ヤスはそう思っていた。

でも、どこかで――

(……いや、もしかしたら。)

そんな小さな期待を、

手のひらの指皮みたいに、そっと大切に握りしめた。


第三話へ(続く)

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