第一章 「レインマン」
彼は、雨の日にだけ現れる。
「今日は会える?」
曇り予報の朝、そっとLINEを送る。
午後になって小雨が降ると、既読がついて、
「今どこ?」って返ってくる。
好きだなって思った。
ちゃんと、来てくれるところ。
ちゃんと、笑ってくれるところ。
ちゃんと、「君のこと、大事にしたい」って言ってくれるところ。
でも、会えるのは雨の日だけだった。
理由を聞いても、
「ちゃんと説明したいけど、まだタイミングじゃない」と言う。
「中途半端に話すと、誤解されるのが怖いんだ」とも言う。
すごく誠実に聞こえる。
でも、説明は、いつまでも来ない。
「週末は何してるの?」
「ちょっと自然に触れてる」
「どこに?」
「ちょっと秘境でね、人があまり来ない場所なんだ」
浮気でもしてるのかと思ったけど、
この前、彼の家で見つけたトポガイドには、
『鳳来』『小川山』『笠置山』とか
地図にない場所が書いてあって、
たぶん、岩と会ってる。
私の誕生日の前日が快晴だったときは、
「どうしてもその日しか登れない岩があって…
もちろん祝いたい気持ちはあるんだよ」って言って、
“今度埋め合わせする”って、ミスドのポイントカードくれた。
ほとんど残ってなかった。
会うと、彼は優しい。
傘をさして、私の肩が濡れないように歩いてくれるし、
駅の階段で私がつまずいたら、
「外岩なら墜ちてたね」って微笑む。
よく分からないけど、守ってくれてる気がした。
この前、うちで彼が急にハンドクリームを取り出して、
黙って手のひら全体に丁寧に塗っていた。
「え、普通手の甲じゃない?」って言ったら、
「いや、俺は摩擦派だから」って真顔で返された。
そのまま、私の顔の横を見ながら
「フリクションって、育てるもんなんだよね」って。
そのとき、
私は何か根本的なものに触れてしまった気がした。
私は何度か、聞こうとした。
「私って、君にとって何なの?」
でも言えなかった。
たぶん、また“核心前のレスト”とかで黙られるから。
この前も、私の誕生日が晴れてたせいで、
「ごめん、鳳来が乾いてるって連絡来たから、今日しかないんだ」
って言われた。
誰からの連絡?岩から?
仕事で落ち込んで泣いてしまったときも、
「わかるよ。グレード下がったときって本当に自信なくすよね」
って言ってくれたけど、
それ、登る話じゃないんだけどな。
私が言葉を選びながら気持ちを話してるとき、
彼はずっと私の手をさすっていて、
「ここ、最近甘皮硬くなってきてるよね」って言ってた。
私じゃなくて、指皮を見てたんだなって思う。
それでも、「今日はありがとう」って言うと、
「いや、こっちこそ癒された。
君の存在って、なんか…マットみたい」って言った。
それが褒め言葉なのかは、今でもよく分からない。
一度だけ、
「浮気とかしてないよね?」って聞いたら、
「安心して、俺は岩にしか指をかけてない」って言われた。
一瞬、誠実なのかと思ったけど、
いや、むしろ不誠実の匂い。
だけど私、
どこかでそれでもいいって思ってしまう。
誰にも言えないけど。
晴れた日には、
彼は私を忘れている。
だけど、雨の日にだけ
ちゃんと迎えに来てくれる。
そんな彼を、
私はまだ、
“誠実な人”だと信じていたい。
二章へ続く